極悪桃太郎こそ、ヤマト政権の回し者だった


桃太郎の彼女が「かぐや姫」だった。まさしく度肝を抜いてくれる設定でのCMになりました。面白いですよね。ただ、内容がちょっと過激すぎて、世の男性は少しビビってしまったのではないでしょうか。少子化の折、結婚を難しく考えないのは良いことなのかもしれませんが、女性から「結婚しよ」と言われて、断りきれずに結婚してしまうというのを当然のように表現されてしまうと、それは困った問題だと思う方も多いのではないかと思います。あくまでも、有村架純だから許される成り行きであって、勘違いを誘わないように願うばかりです。

先日お話させていただいた、浦島太郎同様、桃太郎も日本人なら誰もが知っているお伽話です。『もーもたろさん、ももたろさん。お腰につけたきびだんご。1つ私にくださいな』この童謡で覚えている通り、私たちの知っている桃太郎は、日本昔話シリーズの脚色になったお話です。「昔、昔、あるところに、お爺さんとお婆さんがいました。お爺さんは山へ柴刈りに。お婆さんは川へ洗濯に行きました。すると川上から大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこと流れてきます。」
不思議なのは、誰が話しても、お爺さんは柴刈り、お婆さんは洗濯で、桃は「どんぶらこ」という擬音とともに流れてきます。なぜみんな、こう話すのかと調べてみると、やはり明治時代に尋常小学校の教科書に掲載され、全員で暗唱できるぐらいまで読み込んだためだとわかりました。その後、親から子へと、2代、3代に渡って語り継がれているということなのです。教科書に載るとは恐ろしいことなのです。

この桃太郎の話も、浦島太郎同様、よく考えてみればちょっと理不尽な話なのです。桃から生まれるのは仕方がないとして(そこにも意味があると思いますが)、犬、雉、猿をお供にするのも、まー許されるとして、鬼退治に出かけて行きます。鬼退治というと正義感にあふれたお話なのですが、やることは鬼ヶ島という鬼の住む場所にいき、鬼を攻撃して降参する鬼から財宝や、隠れ蓑、隠れ笠といった鬼の宝物を奪って帰るのです。これ、言い方を変えれば強奪犯です。
見方を変えると、各地に植民地支配をしようとした帝国主義のお話ではないかとも考えてしまいます。この時の日本の敵は、「鬼畜米兵」と呼ばれた「鬼」にされたアメリカ兵でした。
「鬼」といえば、退治して良いものという考えがあるのかもしれませんが、宝物を奪って帰るというのが納得いかない、と感じられませんか?例えば、一寸法師も鬼退治をするのですが、こちらは娘をさらいにきた鬼を退治し、鬼は山へ逃げ帰ります。その時、鬼が落とした打ち出の小槌を拾うというお話です。これなら理解できます。荒らしまわる悪い奴を退治するのは良いことです。でも、桃太郎は違うのです。
桃太郎の話は、全国に形をかえて伝わっています。伝承していくうちに、その土地土地で身近でわかりやすい話に少しづつ変質したことで、いくつかのバージョンが出来上がりました。では、原型はどこにあったのでしょうか。お話としては室町時代に完成したという説をよく聞きますが、これは、室町の頃にお伽話がまとめられ、文章化されたということであって、話ができた時期が室町であったわけではありません。
浦島太郎は、丹後風土記や日本書紀に残っていましたが、桃太郎はどうなのでしょうか。
今、桃太郎伝説地として最有力なのが、岡山県です。岡山は、古代の吉備(きび)国です。これが、桃太郎の話にでてくる「きび団子」の「きび」の音と結びついて岡山の話であるとするようになったようです。きび団子は「黍」団子であって、「吉備」団子ではありません。しかし、吉備とのかかわりは、あながちでたらめではないことも事実なのです。
日本書紀によると、最初の実在天皇とされる崇神天皇のとき、全国平定のために四道将軍というのが遣わされます。一人は北陸にオオヒコ、一人は東海にオオヒコの子供でのタケヌナカワ、一人は丹波へ丹波道主、そして、もう一人が西へ派遣された吉備津彦になります。逆に言うなら、存在した抵抗勢力をヤマト政権の傘下に入れるために派遣されたとも言えると思います。越の国、尾張の国、丹波王国、そして、吉備国であったとも言えます。
崇神天皇の時代と一致するかどうは別にして、吉備には、日本で4番目に大きい墳丘長350メートルの前方後円墳の造山古墳があるとともに、286メートルの作山古墳が存在します。いかに巨大な勢力が存在していたかは良く理解できます。加えて、吉備津神社には、温羅(うら)退治の伝説が伝わります。
温羅伝説にも、いくつかの版があり温羅の出身地を特定しないのが一般的ですが、吉備津神社では温羅を百済の王子であったとしています。百済であったかどうかは確定する要素はありませんが、「羅」は、新羅、加羅など、朝鮮半島にあった国もしくは一族の名前に付けられていた字です。この温羅を退治するために、民衆がヤマト政権にお願いし、ヤマトは吉備津彦を派遣したという話になっています。
つまり、温羅伝説は吉備が渡来人の国であったことを伝えているとともに、ヤマトが派遣した吉備津彦により平定されたのだと伝えている話なのです。温羅伝説に関連した吉凶を占う鳴釜神事は今でも続けられています。温羅伝説には、吉備津彦の家来として犬飼タケルが登場しますし、温羅は雉になって逃げようとします。猿は出てきませんが、桃太郎の話の原型がこの話であると言われると、そうかもしれないと思わせる要素はたくさんあります。
吉備津神社は、吉備津彦を祀りますが、元々温羅(うら)を祀っていた神社だったという説があります。私はこれが正しいのではないかと思うのです。鬼の首を埋めた場所に、神社を建てるものでしょうか。温羅(うら)の首を神社の下に埋めているというのは、もともとそこに墓がありそれを祀っていたということなのではないでしょうか。
十数年の間、温羅の首は吠え続けたそうです。これこそ、ここに国を築いた渡来人一族の怨嗟の声だったのではないでしょうか。造山古墳や、作山古墳を作るほどの巨大な国を作り上げ、安定した成長を遂げた国をヤマトが奪ったというのが正しいように思います。日本書紀の記述によれば、第7代の天皇である孝霊天皇の子供が吉備臣の祖と記載されているとともに、悲運の武将ヤマトタケルの妃として、吉備武彦の娘の吉備穴戸武媛(きびのあなとのたけひめ)が登場しています。
欠史八代に祖を持つということは、ヤマト以前にあった国であるという暗喩であるとともに、ヤマトタケルの妃としての表現にはヤマトの後悔が込められているようにも思えます。鬼のような行いで吉備の国を蹂躙したのはヤマトであり、無理やり渡来人の国吉備国をヤマトの中に組み入れてしまったのではないかと思います。まさしく、残虐に蹂躙したあげく宝物を奪っていくという鬼畜桃太郎の行為が実践されたのだろうと思うのです。
歴史とは恐ろしいもので、勝ったほうがストーリーを作ります。ヤマトの作ったストーリーは桃太郎という悪者退治の正義感の話にすり替えられて語られ続けたようです。怖いのは明治政府の思惑です。この話を教科書に載せ刷り込み教育を実施したところに、本当の怖さを感じます。CMでは、鬼嫁と一緒になり「鬼」がついてまわることになりますが、実に妙味。ある意味、大変深いストーリーになっているのです。

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桃から生まれた桃太郎というのは非常に不思議な誕生の仕方です。孫悟空は石から生まれました。同じ考え方が取り入れられたのでしょうか。イザナギが死んでしまったイザナミを忘れることができず、黄泉の国へ訪ねて行った後、必死で逃げ帰るのですが、最後に悪霊を払うのにやった行為は、桃の実を3つ投げることでした。桃の身は悪霊払いの実とされていたのだと思います。纒向遺跡で、大量のも桃の種が出土し話題になりました。神聖なる果物であったようです。
東北や北陸では桃太郎は桃から生まれたのではなく、桃を食べたお爺さんとお婆さんが生んだ子が桃太郎と名付けられたという話になっています。桃は回春の妙薬と信じられていたようです。桃は品種改良の末甘くなったのだそうで、昔の桃は甘くないのだそうです。だとすると、その身の形が愛されて、そう信じられたのかもしれません。

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