邪馬台国

日本古代史を科学する 中田力 PHP新書


非常に鼻につく様に感じるのは、断定口調が多いせいでしょうか。自然科学の論理と手法を用いない人文科学なる物は2流の学問であるという論調でまくし立て、自分が推定する邪馬台国宮崎説に対しては「どの様な権威者がどの様な詭弁を使ったとしても、「魏志倭人伝」を前提とする条件を設定する限り、理論的にこの結論を否定できないのである」なのだそうです。私に言わせれば、「誰も否定しきることはできないかもしれませんが、誰も肯定することができない説」だと思います。
科学と言いながら、次に出てくるのは(自分で行ったのではない)DNAの解析結果からの、弥生人がどこから来たのかの推論です。科学と言うのであれば、もう少し、DNAの分析結果をクラスター分析か何かを使って、説得力のある説明をしてもらいたかったと思います。後半の、出雲と四王朝説に至っては、最早、科学でもなんでもない。中国史の大きな流れだけの上での作者の空想でしかありません。科学はどこに行ったのでしょうかと言いたくなりました。(本の写真をクリックいただければ、アマゾンのショップに繋がります。)
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読みやすさ  ★★★
着想の奇抜さ ★★
論理の力強さ ★★★

卑弥呼と冢 高瀬航太郎 新人物往来社

卑弥呼と冢
魏志倭人伝には、いろいろな解釈がありますが、新しい解釈を行うにはそれなりに説得力のある裏付けが必要かと思います。高瀬氏のこの書では、邪馬台国大和説であり、卑弥呼・台与の年代を孝昭天皇から開化・崇神天皇の年代に該当することが前提として進められています。3世紀頭に卑弥呼が実在したことは誰も疑いませんが。考昭天皇から開化天皇は第5代から第9代の天皇で、定説では欠史八代と呼ばれている天皇達です。これを実在したと考えて、卑弥呼が誰にあたるかを、記紀や旧事紀の中から推測するというのは、どのようなものかと思われます。十一県主の娘の大井媛であるということですが、「なるほどー」と思う人は残念ながら少ないと思います。また、卑弥呼の冢は、箸墓ではなく桜井茶臼山古墳だと言われます。しかし、この古墳は4世紀初頭に作られたとされており、特に、出土した三角縁神獣鏡の一つが群馬県蟹沢古墳で出土したものと同范鏡であるということがわかっています。卑弥呼の墓に、同范鏡を入れる?、例えそれが、元になった鏡だとしても複製用の型を入れるなどありえないと思います。逆にこの古墳には、宗像神社があります。九州の宗像一族との関係があると思われるため、私にはそちらのほうが魅力的です。本文中に、大和説を補強されようと思ったのか、「郡より一万二千里」の解釈として、直線距離にするとそのぐらいになり魏志倭人伝は正確だと書かれていますが、その当時直線距離をどうやって測ったのでしょうか。ちなみに、書の最後に「紀年論」の問題も語られていますが、コメントはありません。(下記の書名をクリックいただければ、アマゾンのショップに繋がります。)
卑弥呼と冢―魏志倭人伝の問題点を探る
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読みやすさ  ★★★★
着想の奇抜さ ★★
論理の力強さ ★★

邪馬台国見聞録 安本美典 徳間文庫

邪馬台国九州論の中で、東遷説を追い求める安本氏。理論構成も素晴らしく、数理的アプローチも非常に説得力があります。これまでの数々の学者の研究を4つのパラダイムに分け、解説した後、持論を展開されています。「甘木朝倉地域にあればいいですね」と声をかけたくなるような力作です。ただ、本人の中にあるジレンマのようなものを感じるのは私だけでしょうか。絶対、おすすめの一冊です。(本の写真をクリックいただければ、アマゾンのショップに繋がります。)
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読みやすさ  ★★★★★
着想の奇抜さ ★★★★
論理の力強さ ★★★★★

中国の研究者のみた邪馬台国 汪 向栄  同成社


邪馬台国を読み解くには、どうしても魏志倭人伝に代表される中国の歴史書を追っかけていくことが必須であり、絶対となります。我々は、それらの文を書下し文にして読みますが、時々、「以」の用法とはじめとして、この接続詞としての理解でいいのだろうかと不安になることがあります。中国の人からみれば、どこまでの意味が隠されているのか解明してくれるのだろうかと期待して読みましたが、ほとんどの内容が日本のこれまでの研究者のまとめとなっていました。最も経済の発達したところに都があったというのは、考え方として納得しにくいものがあります。(本の写真をクリックいただければ、アマゾンのショップに繋がります。)
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読みやすさ  ★★★★
着想の奇抜さ ★★
論理の力強さ ★★★