神々の謎 小椋一葉 河出書房新社

タイトルの響きがよく興味を魅かれます。「万葉の歌とともに」という副題までついているので、万葉集を読み解きながら日本の古代の神々を見ようというのかと期待しました。紹介されているのは、気比神社、住吉大社、八幡大神、天満天神、春日大社、賀茂神社、日吉大社、松尾大社です。気比、住吉、八幡迄は良いとしても、天満天神以降は全て由緒がはっきりわかっている神社がならびます。それでも、何かあるだろうと読み進めますと、「ニギハヤヒ」の神が登場します。ニギハヤヒは、神武天皇が東征を行う時の戦いの相手であるナガスネヒコが奉じる神様です。日本書紀では、天孫降臨をしニニギに先立って、河内国に降り立ったと書かれています。つまり、天孫族でありながら、北九州にやってきたニニギ一族とは別の渡来人で大和にすみついていた種族ということになるのでしょうか。さて、何が書かれているのかというと、気比神社も、住吉大社も、八幡大神も、天満天神も、春日大社も、賀茂神社も、日吉大社も、松尾大社も、元を正せば全てニギハヤヒだという説です。八幡大神ぐらいから、「えっ?また?」となるのですが、頑張りました。最後迄読んでいて多分大きな誤解があるのではないかと思いました。もともと、山に神が宿るという発想から日本の神は始まりました。理由は明白で、天に近いためです。その代表格は、高御産巣日神(たかみむすび)の神です。従って、大きな神社が置かれている場所には、当然、山が存在します。それをもって、ここも同じだから「ニギハヤヒ」というのはどんなものでしょうか。気比神社、住吉大社、八幡大神だけは、もっともっとつっこんでほしかった。なぜ、住吉大社が生まれたのか、八幡大神が生まれたのかを探ることは真の意味の日本の姿を解明することにつながるはずなのです。あと、副題の万葉集はどこにいってしまったのでしょうか。それなりに、縁起などを分析されているだけに、この本の失敗は、筆者の責任ではなく編集者の責任だと思います。筆者が言いたかったことを理解した上で、編集し直せば読み応えのある本に変わると思います。(本の写真をクリックいただければ、アマゾンのショップに繋がります。)
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読みやすさ  ★★★
着想の奇抜さ ★★★
論理の力強さ ★★

「かたち」の謎解き物語

この作者の方は、建築工学の先生です。「なぜ夢殿は八角形か」という本を書かれていたのですが、八という数字の謎だけでなく「形」全般、数字全般にわたり書かれたのがこの本です。最初から最後まで基本となり、この本を貫いているが、古代中国神話に登場する中華民族人文の始祖として崇拝される伏羲(ふっき)と人類を創造したとされる女神の女媧(じょか)です。伏羲(ふっき)は、手にコンパスをもっており、女媧(じょか)は手に定規をもっています。つまり、伏羲(ふっき)と女媧(じょか)は、このコンパスと定規で万物を造り出したとされているのです。そして、その象徴が○であり□の形であると言われます。この2つにより全ての形が表されるのですが、本の中では三番目の神として神農は数字の3の神、そこから△という形が説明されます。陰陽道が多用されますが、それは日本人の生活に密着しているからかもしれません。他、道教をはじめ世界中の思想が語られます。そこで、私はカテゴリーとして思想史の中に入れてみました。ある意味面白いのですが、非常に物足りないというのも事実です。確かに、形や数字はいろいろな意味を持ち、つながりがあるのですが、根本的になぜ、その数字なのか、なぜその形なのかが書かれていません。例えば8。我が国の最初の和歌は、「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」。伏羲(ふっき)は陰と陽の3つずつの組み合せ8種類からなる八卦を考案し、東西南北その中間の八方向に広がる八紘一宇(はっこういちう)の宇宙の運命を予言した。確かに日本人は八島大国といったり、八百万の神と言ったり「8」を重んじるようになりましたが、それは「八卦」が元になった物なのでしょうか?そんなに大切なら、どうして8進法を使わなかったのでしょうか。8の持つ意味はなんだったのか、どうして8を重んじたのか、他の数字は8との違いをどういうふうに理解されていたのかなどの、本質的な情報がありません。この本から、話のネタは提供できても直に忘れてしまいそうです。(本の写真をクリックいただければ、アマゾンのショップに繋がります。)
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読みやすさ  ★★★★
着想の奇抜さ ★★★★
論理の力強さ ★★

ifの日本史 加来耕三 ポプラ社

歴史は過去の事実であるわけですから、「もしも」というものは存在しませんが、もしもと想像を拡げていくのは本当に楽しい物です。もしも、本能寺の変で織田信長が生き延びていれば、もし、関ヶ原で西軍が勝利していたら、など、知りうる人々の行動を考えるだけでも時間はどんどん過ぎていきます。私は古代史が好きですから、「磐井の乱が成功していたら」「壬申の乱が逆転していれば」「物部氏が蘇我氏を滅ぼしていれば」など、楽しく読まさせていただきました。ネタバレになってしまいますので、個別の「もしも」にコメントを入れませんが、残念だなーと感じたのは、作者の方にとってはその時々の、時代の趨勢を離れることはできずに予測をされていることです。時代の流れが変わらなければ、起こらない出来事が起こっても時間がずれるだけで100年、200年の単位では同じような時代が来ることに成ってしまいます。タイムマシンができて、ある時点の結論がひっくり返ったとしてもタイムマシンで到達した時間帯だけに変化が起こり、全体としての時代や考え方の流れに変動がおきないと考えられるのと同じ捉え方です。せっかく、「もしも」としてないことを想像するのですから、時代の枠を越えた世界を見せて欲しかったです。例えば、「磐井の乱」が成功していたら、現代においても、九州だけは別の国になっていた可能性は結構高いと思うのです。「筑紫国」と「日本国」が存在していたかもしれませんし、「筑紫国」はその地理的要因から、シンガポールのような発展の仕方をしていたかもわかりません。アメリカが重視したのは九州・沖縄でしたから、本州日本は共産国になっていたかもしれません。せっかくですから、そのくらいの飛躍があっても良かったかもしれないと思うのです。(本の写真をクリックいただければ、アマゾンのショップに繋がります。)
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読みやすさ  ★★★★
着想の奇抜さ ★★★★
論理の力強さ ★★